小湊鉄道 その2
房総小湊鉄道一ヶ月に二度の訪問です。前回は途中から大雨に遭遇早々に退散でした。
小湊鉄道で気に入った駅舎は「飯給駅」青いトタン壁の駅舎が故郷の「馬小屋」と同じ(失礼)
一日の乗降客は10人に満たない駅、その前には「白山神社」歴史が古く創建は670年頃
その昔、今から1338年も前に 西国(近江、奈良、岐阜など)で起きた「壬申の乱(じんしんのらん)」で
「大海人皇子(おおあまのみこ)」に敗れ、東海道を敗走した「大友皇子(おおとものみこ)」が 11人の公家を引き連れて、ここ(飯給付近)を流れる「小櫃川」を遡る途中、6人が溺れて死に、残り5人も疲れ果ててしまいました。この時 疲れ果てた皇子一行に、村民たちが ご飯を差し上げ もてなしたそうです。一行は 大変喜び 召し上がったといいます
この場所は「飯を給わった」ということから「飯給(いたぶ)」と名づけられたそうです。
壬申の乱で敗れた「天智天皇の子供」である「大友皇子(おおとものみこ)」は、言い伝えでは 房総半島の現在の地名の「飯給(いたぶ)」に逃げてきたのです。
しかしながら 一行は 追って によって 捕らえられ、 後名づけられた「白山神社」で打ち首になってしまったそうです。
翌日から その周りには 白い3羽の鳩が 舞うようになったので 村人たちが そこに お宮を建て 祀ったところ 白鳩の姿は見えなくなりました。
そこで この お宮を 「白鳩の山」と呼び、後世「白山神社」と呼ぶようになったそうです。
白山神社にお尻を向け、鳥居越しに飯給駅に停車した小湊鉄道「キハ200 気動車」
飯給駅改札口より白山神社参道鳥居を田んぼ越しに。
上総大久保駅を出発直後の「キハ200気動車 」
上総大久保と月崎駅間の田園と「キハ200 気動車」
小湊鉄道で気に入った駅舎は「飯給駅」青いトタン壁の駅舎が故郷の「馬小屋」と同じ(失礼)
一日の乗降客は10人に満たない駅、その前には「白山神社」歴史が古く創建は670年頃
その昔、今から1338年も前に 西国(近江、奈良、岐阜など)で起きた「壬申の乱(じんしんのらん)」で
「大海人皇子(おおあまのみこ)」に敗れ、東海道を敗走した「大友皇子(おおとものみこ)」が 11人の公家を引き連れて、ここ(飯給付近)を流れる「小櫃川」を遡る途中、6人が溺れて死に、残り5人も疲れ果ててしまいました。この時 疲れ果てた皇子一行に、村民たちが ご飯を差し上げ もてなしたそうです。一行は 大変喜び 召し上がったといいます
この場所は「飯を給わった」ということから「飯給(いたぶ)」と名づけられたそうです。
壬申の乱で敗れた「天智天皇の子供」である「大友皇子(おおとものみこ)」は、言い伝えでは 房総半島の現在の地名の「飯給(いたぶ)」に逃げてきたのです。
しかしながら 一行は 追って によって 捕らえられ、 後名づけられた「白山神社」で打ち首になってしまったそうです。
翌日から その周りには 白い3羽の鳩が 舞うようになったので 村人たちが そこに お宮を建て 祀ったところ 白鳩の姿は見えなくなりました。
そこで この お宮を 「白鳩の山」と呼び、後世「白山神社」と呼ぶようになったそうです。
by anpanclub
| 2012-05-29 13:25
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